相対性理論の3つの魅力

仕事に集中できないので、夜中なのにブログを書いてるbonlifeです。相対性理論の「ハイファイ新書」ついて書かれている記事を読んで、なるほどな、と思いましたよ。

楽曲として「かわいいもの」「少女性」「切なさ」などを表現するための要素で構成されているにもかかわらず、実際には彼らの歌は具体的なエモーションを欠いている。切なそうな言葉が歌詞に頻出していても、指し示している情景を持っていない。

ハイファイ新書

ハイファイ新書

そうなんですよね!ドキッとするような言葉のチョイス。でも、特に意味付けされずに裸の言葉としてそのまま放り出されてるんですよね。記号的に散りばめられてるだけで、どの言葉も軽くて空っぽ。それが音程の甘さと相まってなんとも言えない浮遊感を生み出してるマジック。わざとらしい友情や愛情の歌に疲れた心の隙間にスーッと入り込んできちゃう。

おそらくこのバンドが人気を博しているのはそこで、我々が彼らの歌に刺激されて抱く感情は、歌詞から与えられる漠然としたイメージを我々自身が補って成り立っていると言っていい。我々は想像の中で我々自身の相対性理論を膨らませることができることに面白さを感じている。

この部分は私の印象はちょっと違います。彼らの歌を聴いても、ちゃんとイメージできないんですよ。不思議少女の歌詞のイメージは常識人の頭では補いきれない。共感できない、理解できない曲たち。曲に突き放されちゃうんですよね。そして、Mな私は突き放されるほど惹かれてしまうわけです。不思議少女に突き放されたい願望が満たされる幸福感。「あぁ、もう意味ワカンナイ!どうにでもして!!」って気分。これが「ハイファイ新書」の第一の魅力(違)。
不思議過ぎて理解できないのに、個々の単語のインパクトが強過ぎて断片的なイメージだけが脳内に浮かんでは消えていくんです。全くもって、ついていけない!そんなついていけない歌でも何度が聴いてるうちに、気づくと口ずさんじゃう。自分の口から意味不明な言葉の並びが出た時、常識や現実世界から解放されたような気分になるんです。阿呆になれる瞬間。これが第二の魅力。
そして何度も何度も聴いてるうちに、歌詞の意味がサーッと遠くに引いて行って、吐息まじりの歌声とバンドサウンドだけが聞こえてくるんですよね。インスト曲よりインスト曲らしい。意味から解放されて音に身を委ねられるのが第三の魅力。

なんだかんだで相対性理論が好き。理由は全部後付け!