自由とは何か - 監視社会と「個人」の消滅
bonlifeです。キャッチーな帯に騙されて買ってしまいましたが、内容は結構硬派でした。
- 作者: 大屋雄裕
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/09
- メディア: 新書
- 購入: 11人 クリック: 199回
- この商品を含むブログ (91件) を見る
色々な学者、思想家の「自由」に対する考え方に触れながら、最終的には「おわりに」にあるような以下のフレーズに落ち着く感じ。
「自由な個人」とは、従って事実ではなく、一つの擬制であるに過ぎない。だがそれは信ずるに足るフィクションである。
以下、気になったフレーズを適当にピックアップ。(一部表現を変えたりしています。また、下記にあげたフレーズの中には著者の主張と一致しないものもあります。)
- 「銃を持つ自由」と「生命の自由」が交換になっている
- シュテルナーは、私に本質などはなく、絶えず変化するその在り方がそれ自体正しいのだと主張する
- 積極的自由が自己実現をめざすとき、そこで実現される「真の」自己は人々が自覚している自己とズレることが想定されている
- 見るものと見られるものの非対称性が、権力的な関係へと転化する
- 国家は個人の自由の守り手であると同時に、最大の潜在的脅威でもある (「近代法の逆説」)
- Amazon.comで消費する我々一人ひとりの行動が、監視可能な事実・属性の束として把握されていることに気付かなくてはならない / 我々は自己決定し判断する主体としてではなく、一定の確率や法則性に基づいてその行動を予測することのできる対象として把握されている
- レッシグは、プログラムのコードを書くものが二十一世紀の権力者になると恐れている
- パノプティコン
- 刑法三九条の思想 (心神耗弱者のくだり)
- 人々が自由であり、自己決定をする主体だということは、一つのフィクションであるが、フィクションの内部からみれば、それは確かな現実なのである
見るものと見られるものの非対称性の部分は、昔からなんとなく意識していたことだったので、なるほどなるほど、と読めました。ちょっとズレますが、見る自分を意識すると、すごく優位に立てますよね。「自由」と一言でくくってしまうとボヤけてしまうものを、そこそこ丁寧に説明してくれていて、なかなかナイスでした。「個人」が誕生した近代から現代にいたるまでの「自由」に関する考え方の変遷みたいなものが、大量に紹介されており、フムフムと読めました。なかなか面白い本だと思います。個人的には、情報化による状況の変化にもうすこし焦点をあてた書籍も読んでみたいなぁ、とかなんとか。